Mr.インクレディブル (ブラッド・バード) ★★★★★ 

ピクサー meets ブラッド・バード(ex.アイアン・ジャイアントザ・シンプソンズ)ということで、当然見に行く前から★★★★★を期待していた本作。で、その期待通り(いや以上)の作品を見せてくれるんだから、やっぱりすげえやピクサー
本編終了後、切り絵風アニメで名場面を辿る素敵なエンド・タイトル(これも凄くいいんだ)を見てビックリしたのが、監督・脚本ともにブラッド・バードの単独クレジットだったこと。
今までのピクサー作品はメイキング等を見る限り、原案・脚本段階から結構な数の主要メンバーが関わっていて、監督・脚本クレジットに複数の名が乗るのは当たり前だったのに、この体制は異色。
しかもプロデューサーに単独クレジットされている、ジョン・ウォーカーって人は、今調べたら「アイアン・ジャイアント」のスタッフだし。
いくらアニー賞9部門受賞とはいえ、興行的には不発だった「IG」のスタッフに、今の体制でも、まだまだ十分な力があるはずのピクサーが、ここまで破格の待遇を与えていることに驚いた。
本当ならアニメ部門が危機的状況にあるディズニー本社こそ、彼らを、それこそ三顧の礼でもって向かい入れるべきじゃなかったのか? おい、アイズナー。
あ、そうか! この映画のアイデアは、既に何度もディズニーに却下されてたんだ。多分そうに違いない。まあ、なんにせよ、そんな"フレキシブル"な体制を持ってるピクサーは、間違いなくあと10年安泰だ。

で、本編。まず何よりも、スーパーヒーローとしての能力と、3DCGアニメとしての魅力が有機的に結びついた奇跡のキャラクター、インクレディブル夫人ことイラスティ・ガールが素晴らしい。
…みたいな、アニメ自体のことはもうこれ以上書けんので、ここはストーリーについてだけ。



※※※ここから完全ネタバレだよーん※※※



2回目見てから、もう2週間近くたつんだけど、考えれば考えれるほど、なんて悲しい話だろうって思う。
結局この話って「悪法により人生を狂わされた二人の男の戦い」だもの。
一人は法により、ヒーローとして活躍する場を奪われた男。もう一人は、法によりヒーローになる夢を潰された男。
そう、二人ともある意味被害者なんだよ。ここ、きちんと描かれているわけじゃないけど、大事。
間違いなく、このヒーロー活動を禁止する法律がなかったら「シンドローム」は生まれていなかった。いやもっといえば、「シンドローム」も数多いるヒーローの一人として活動していたに違いない。
そして、時々「子供の頃、俺はMr.インクレディブルにすげぇひどい仕打ちを受けたんだぜ」とか、憎まれ口を叩いたりする仲になってたかもしれないんだよ。この二人は。
何故ならシンドロームの行動原理は一つ。「ヒーローになりたい」ただそれだけだから。
彼が次々とヒーローを殺していったのも、誰もかなわない最強のロボットを作り上げ、今の法律の下でもヒーローが必要とされる大状況を演出し、そして自らの手でロボットを破壊して見せ、人々に偉大なヒーローと認識してもらう、というゆがんだ作戦を実行する為。
それは単に、有名になりたいってことじゃない。有名になりたいだけなら、彼自身も言ってるように、彼の持っているテクノロジーを万人に開放し、全ての人がスーパーヒーローになれる世界を実現すればよいのだから。
シンドロームにはその力があるし、もしそれを実行すれば、彼は真のイノベイターとして、歴史の続く限り讃えられるのは間違いないのに。
それでも、彼はヒーローを目指す。自分にはヒーローの能力がないことを知りながら。
方や、ヒーローとして生まれ、その運命に粛々と従う男。
方や、一般人として生まれたものの、その運命に抗いヒーローになる夢を追い続ける男。
なんか、似た話あったな…と考えて浮かんだのがアンドリュー・ニコルの「ガタカ」。あの映画では、遺伝子による選別だけれど、生まれつき運命が決まっているという点では同じだ。そしてその運命を乗り越えようとする意志も。
ただ「ガタカ」では、挫折したエリートと、エリートを目指す男は、二人で協力し合うんだけれどこの映画では殺しあうんだよ。ああ。


ここで、この映画の表面的なテーマである「家族愛」について考えてみる。
なんで、この映画が家族を扱っているかというと、それが血のつながり、つまり才能のつながりを表しているから。
そう、明らかにこの映画では、ヒーローの素養が血で受け継がれている。決して努力なんかじゃない。
だから、Mr.インクレディブルが必死こいてトレーニングをしても、腹はへっこむけど強さに大した違いはないし、母親は、これからの戦いに不安がる娘ヴァイオレットに、"It's in your blood."(訳は「DNAを信じて」)という言葉をかけるのだ。
(ちなみに、これと全く同じセリフが、「ハリー・ポッターと賢者の石」でも使われていた。
脚本→http://hometown.aol.com/joydrop143/page5.html
このセリフを言われる奴、つまりハリー・ポッターも、大魔法使いの血を受け継いだナチュラル・ボーン・スーパーヒーローである)
そう考えていくと、ラスト、全ての企みを潰された後のシンドロームが、末息子ジャック・ジャックの誘拐を企むことの意味が深くなると思う。
彼にとって家族の絆とは、血(つまり世襲)で継がれていく、閉じられたヒーローの世界そのものだから。彼は自分がヒーローになるためには、そういう伝統的価値観をぶち壊す必要があると思ったからなんだよ。
そして、そこまでしてヒーローになりたかった男、シンドロームは最後、自らがヒーローとして身に付けていた衣装が原因で死ぬことになる。ああ、泣いたよ俺は。まあ、ここまでシンドロームに感情移入して見てる奴なんていないと思うけど。
もし、この映画の続編をブラッド・バードが作るとしたら、多分、この世界で始めての一般人出身のヒーローが誕生する話になると思う。いや、そうあってくれ。でないとシンドロームが浮かばれないよ。(浮かばれなくてもいいんですけどね)
まあ、続編の権利がディズニーにある以上、ブラッド・バードが作ることはないと思うけどさ。