リライト

いわゆる「ハリウッド映画」では脚本のリライトが何度も何度も行われる、ってのはちょっとした映画好きなら既に常識みたいな事にいつのまにやらなってますが、恥ずかしながらワタクシ、このリライトについて大きな勘違いをしていたことに、たった今気付きましたよ。
例えば「アルマゲドン」のような10人以上の脚本家がクレジットされている、つまり何遍もリライトされていることが明らかな映画に対して、「これだけたくさんの人がリライトしてるのに、こんなたくさん矛盾が生じるなんてこいつら全員脳味噌、鱈の白子なんじゃねえか」と、自分は長い間思ってた訳ですよ。が、これが全く的外れな意見であることにやっとこさ気付いたと。いや、お恥ずかしい。
良く考えれば(良く考えなくても)分かることなんですが、リライトの目的って「物語の矛盾を無くすこと」じゃないもんね。「映画を面白くすること」だもんね。そして当然、「映画を面白くする」=「物語の矛盾を減らす」ではないもんね。むしろアクション映画においては、前者と後者って全く逆のベクトル向いてるんじゃないの。つまり、リライトって「物語の矛盾を増やす」のが仕事なんじゃねえの、ということにやっとこさ思い立った訳ですよ。
ああ、それでプロデューサーって、リライトを別の脚本家に頼むんだ、とやっと納得した。だって、最初の脚本を書いた人にすれば愛着あるホンをできるだけ矛盾や破綻の少ない「良く出来た脚本」にしてあげたいんだもんね。でも、それって「いい脚本」ではあっても「面白い脚本」じゃないんだよね。だから、脚本に何の思い入れも無い別人にリライトを頼むんだよね。後から頼まれた奴は少しでも面白い脚本にしなきゃならんのだから、前書いた奴の思い入れなんてしったことか、とどんどん面白アイデアぶっこんで結果、矛盾倍増ってのが当然なんだわ。そりゃ矛盾は無いにこしたことないけど、既に土台が出来上がった物語になんの矛盾点も生じさせずに、凄ぇ面白シーンを付け加えるなんて無理だもの。それが可能だったのって全盛期の黒沢明脚本軍団位だろ? だから、矛盾の多さと映画的ダイナミズムとはきっちり正比例の関係にあるのだ。矛盾万歳。
だから、「アルマゲドン」について「山ほど脚本家が関わってるのに、こんな矛盾だらけの脚本になるのは痴呆軍団だから」と語るのは間違っていて、「たくさんの脚本家が関わったおかげで、これほどまでに矛盾満載の脚本にすることができたのだ」というのが正しいわけですね。そうだよな、あの脚本、一人で書くのは絶対不可能だもんな。
この事実をいち早く理解して実践していたのが、この「アルマゲドン」のプロデューサーにして現在のキング・オブ・ハリウッド、ご存知ジェリー・ブラッカイマーその人な訳ですが、結局何が言いたかったかっていうと、俺が勝手に「日本のブラッカイマーになって欲しい人NO.1」と呼んでる亀山千広Pに「ローレライ」ってリライト足りなかったよね、でも「交渉人 真下正義」はリライト頑張ってたね(でも、正直あと1回リライトして欲しかったかな)ということを伝えたかったのであります。終わり。