ディセント (ニール・マーシャル) ★★★★★

 上映回数が一日一回でしかも期間は1週間限定、レイトショーの一つ前なので料金も通常通り、という思いつく限り最悪の上映環境の中、地図を片手に(カーナビなんてねえよ)行った事無い映画館に頑張って出かけてきましたよ。見た回数はDVDでの2回も含めるとこれで計3回目。ああ、やっと思う存分★五個付ける事ができるぜ。
 以下、ちょこちょこバレバレ。




 いやもう、覚悟はしていたんだがやっぱり泣いた。6人で写真を撮るあたりからウルウルしちゃって、ジュノがベスを刺しちゃうところからはもうボロボロ。さすがにアレが出てる間は泣きはしないけど、それ以外では終盤泣きっぱなし。やっぱりこの映画、めっちゃ泣けるわ。
 何故泣けるのか?と問われれば、この映画はホラー映画として(いや、もしかしたら映画全体としても)かなり珍しい「決定的な悪意の不在」という特徴があるから。俺の考えではこの事に監督はかなりこだわったはずで、「アレ」は単に自分の巣に侵入されたから襲い掛かってくるだけだし、単体では武器を持った彼女達に太刀打ちできない程弱弱しい。つがいの「アレ」が夫を殺された復讐として襲い掛かってくるシーンまであるし。この点のこだわりは昨今の映画では「ユナイテッド93」に匹敵すると思う(俺、本気よ)。
 例えばこの映画、全ての事柄の原因をジュノに割り与え、完全な悪玉にするという選択ももちろんありえたはずで、そうすればラスト、サラがジュノの足をぶっさすシーンで観客は拍手喝采といった按配だったと思うんだが、実際はどうかというとその前にジュノがベスを刺したのは事実なのだが、観客からするとあれが「事故」なのは明白であり、しかも「事故」の程度からいってもベスを見殺しにすることは決して責められる選択とは言えず、何よりジュノは他のメンバーが反対する中、唯一人サラを探すことを主張していたりもする(もちろん、これは彼女の夫と浮気していたことや、今回の洞窟を勝手に選択した負い目からだとは思うが)。冒頭の事故からそうだが、この映画の中で行われる「悪」って「友人の夫を寝取る」とか「よそ見運転(笑)」とか「一人先に突っ走って穴にドスン」とか「ロープを一人占め」とか、人間なら誰でも一度は犯す可能性のある程度の(そうしとけ)「悪」だけで、それらの薄い「悪」と幾多の誤解、善意から生じた失敗等が積み重なり、最後の決定的な「足ぶっすり」に至ってしまう悲劇というのがこの映画の正体な訳で、つまり俺が言いたい事は最後が「足ぶっすり」だと思って見ると結構泣けるよ、2回目を見に行くといいかもよ、ということです。
 あと、アメリカ上映バージョンは最後車内でジュノを見た時点で終わり、という最悪な改変が行われているというのは周知の通りですが、今回映画館でラストカットを見た俺は「あれ、DVDで見たラストカットでは画面が引いていくに従って『アレ』がたくさんワシャワシャしてたはずなのに、一体もワシャワシャしてない!改変だ!」と息巻き、帰宅後真っ先にDVDを確認したところ、一体もワシャワシャしてませんでした。勘違い御免。