パフューム ある人殺しの物語 (トム・ティクヴァ) ★★★1/2

 「薔薇の名前」のプロデューサー、ベルント・アイヒンガーが「バイオハザード」でしこたま儲けた金で再びお贈りする文芸娯楽大作。この人、「DOA デッド・オア・アライブ」のプロデューサーでもあり、他には「素粒子」「ファンタスティック・フォー」「ヒトラー 〜最期の12日間〜」「裸の銃を持つ逃亡者」と節操無いにも程がある。あんまりだ。ちなみにパトリック・ジュースキントの原作は2,3年前に1/3程読んだ時点で本を落としてしまった(その頃シネコンで拾った人がいたら俺のだ)ので、結果未読。
 で、この映画、まず予告で見た建物崩壊が「香り」でどうやって起こるのかなぁ、とそれを楽しみにしてたんだけど、見たらビックリ、香りは全然関係無いのな。終盤のアレも、かなーりおぼろげな記憶なんだが、確かリチャード・マシスンの「地獄の家」に「階下を覗くとウン百人の男女が交わっておった」みたいな場面があって、その映画化作品である「ヘルハウス」を期待タップリで見たところ、そんなシーンが全く無い事にプンプンした経験を持つ自分としては*1、感動した…はずなんだが、なんか納得できない。何故かなあ、と思ったらこの映画、グルヌイユの存在が後の世に語られなかった理由としてグルヌイユと関係した人物が全員バンバン死んでゆくんだが、一番の関係者であるところの乱交参加者の死が描かれないんだ。「あら、いやだ。お恥ずかしいわ」で終わり。そのままま十月十日後、パンパン生まれた子供達が揃いも揃って異形の子供で「悪魔の子宮」と名づけられたその村は村ごと全員焼き殺されたのだった、みたいなエピローグは描かれず。原作はどうなのか、ちょっと気になるがいまさら読む気もおきねえ。それに、この「関わった人間が全員死ぬ」法則により、「結局、グルヌイユが殺さなくても勝手に死ぬんじゃん!」みたいな突っ込みを入れたくなるんだけど…どうなんですか、そこらへん。原作読めってか。まあ、あのシーンの群集にもし女の子がいたら…とか考えるだけでご飯3杯はいけるのでよし<死ね

*1:今、考えれば「ヘルハウス」は結構いい映画。